なぜ、減らした人を雇い戻すのか
── 「AIブーメラン」が映したもの
AIで減らした人員を、また採り始めた企業が増えている。だがこれは「AIの失敗」なのか。フォード、IBM、クラルナの事例が映し出したのは、AIの限界ではなく、私たちが仕事というものをどれだけ雑に見立てていたか、だった。
「700人分の仕事」の、その後
2024年の初め、ある企業の発表が世界の注目を集めました。スウェーデンの決済大手クラルナ(Klarna)が、生成AIを使ったアシスタントを導入し、それが700人分の顧客対応業務をこなしている——そう公表したのです。数字はやがて800人分と更新され、AIによる人員代替の象徴的な成功例として、世界中で語られました。「AIは、これだけの人間の仕事を引き受けられる」。その手応えは、多くの経営者にとって、未来の縮図に見えたはずです。
けれど、この話には続きがあります。そして、その続きのほうは、最初の発表ほどには報じられていません。
翌年、クラルナのCEOは、AIに任せた顧客対応の品質が落ちていたことを認め、人間のオペレーターを再び募集し始めます。同社は「人間を撤廃したわけではない」「AIと人の二軌道への進化だ」とも説明していますから、これを"惨敗"と呼ぶのは正確ではありません。けれど少なくとも、「AIが700人分を代替した」という最初の見出しが、そのままの意味では続かなかったことは確かです。
そして、似た揺り戻しは、クラルナだけの話ではありませんでした。2025年から2026年にかけて、いちど減らした人員を、また採り始めた企業が、静かに、けれど確実に増えていきます。この現象は、海外では「AIブーメラン」とも呼ばれるようになりました。
私が気になっているのは、この現象を、私たちがどう読むかです。「やはりAIは万能ではなかった」——そう結論づけるのは簡単です。けれど、その読み方は、たぶん半分しか当たっていません。本当に問われているのは、AIの性能ではなく、私たちが最初に立てた"見立て"のほうだったのではないか。この記事では、そのことを考えてみたいと思います。
戻し始めた企業たち
もっとも象徴的なのは、自動車大手フォード(Ford)の話です。
フォードは、車両の品質検査に生成AIを導入しました。AIが不具合を見つけ出し、人間の検査員を置き換えていく——そういう構想だったと言われています。ところが、AIによる欠陥の検出は、熟練した検査員の判断を再現しきれませんでした。同社の担当役員は、のちにこう認めています。「AIを入れて設計要件を教え込めば、高品質なものができあがる。そう考えていたのは、誤りだった」と。
フォードは、過去3年をかけて、経験豊富なエンジニアをおよそ350人、現場に呼び戻しました。社内で"グレイビアード"——白い顎ひげ、つまりベテランと呼ばれる人たちです。結果として同社は、2026年の米国の初期品質調査で、主要ブランドの首位に返り咲きました。CEOは、保証やリコールにかかる費用の削減で「数億ドル規模の追い風になる」と語っています。
ここで立ち止まって、正確に見ておきたいことがあります。フォードは、AIをやめたわけではありません。AIは使い続けたうえで、その出力を最終的に見極めるベテランを、傍らに戻したのです。350人という数字も、3年をかけての、静かな積み増しでした。劇的な"敗北宣言"があったわけではない。これは「AIの放棄」ではなく、「配置のやり直し」なのです。
似た動きは、IBMにもあります。同社は人事部門の問い合わせ対応をAIエージェントに任せ、そのおよそ94%を自動処理できるようになりました。けれど、残るおよそ6%——倫理的な判断や、機微な事情の絡む対応——は、どうしても人間を必要としました。そしてIBMは、この6%を担う人材を枯らさないために、むしろ新卒採用を増やす方向へ舵を切っています。人事責任者は、その理由をこう説明しています。若手に投資し続けなければ、数年後には、組織を支える人材のパイプラインが枯れてしまう、と。
こうした揺り戻しは、大企業の逸話にとどまりません。米国の人材サービス大手ロバート・ハーフ(Robert Half)が2,000人の採用担当者に尋ねた調査では、AIや自動化を理由に職を減らした組織のうち、32%が、まさに同じか、よく似た職種で、人間を再び採用していたと報じられています。3社に1社近くが、いちど手放したものを、また求め始めている。これはもう、個別の失敗談ではなく、ひとつの傾向と呼んでよい規模です。
ここまでを見れば、こう結論したくなります——「やはり、AIは人間を置き換えきれなかったのだ」と。実際、それは間違いではありません。けれど、私がこの現象で本当に考えたいのは、その先にあります。
けれど、本当にAIの失敗なのでしょうか
ここで、流れを一度、逆から見てみたいのです。
これまでの話は、「AIに任せてみたら、うまくいかなかったので人を戻した」という筋書きでした。AIの失敗が原因で、人の再雇用が結果。そういう順序です。けれど、順序を入れ替えてみると、まったく違う景色が見えてきます。多くの企業は、AIがうまくいかなかったから人を戻したのではなく、先に人を減らしてしまったから、穴が開いたのではないか。 AIを導入する前に、あるいはAIの実力を確かめきる前に、削減という結論だけが先に走ってしまった。そう考えると、戻しているのは「AIの失敗の後始末」ではなく、「早すぎた削減の後始末」だということになります。
そして、もう一つ。さらに手前に、確かめておくべき問いがあります。その解雇は、そもそも本当に、AIが原因だったのでしょうか。
意外なことに、この点にもっとも率直だったのは、AIをつくる側の人物でした。OpenAIのサム・アルトマンCEOは、2026年2月、インドで開かれた国際会議のインタビューで、こう述べています。正確な割合はわからないが、本来やるはずだった人員削減を、AIのせいにしている"AIウォッシング"と呼べる動きが、一部にはある。そのうえで彼は、AIによる本物の雇用の置き換えも、また確かに起きている、と付け加えました。ウォッシングも、実際の代替も、どちらもある——その両方を認めた、慎重な言い方でした。
この指摘は、データとも符合します。コロナ禍のあと、多くの企業は、金利の上昇や、感染拡大期に膨らみすぎた人員の是正という、きわめて古典的な理由で人を減らしていました。ある調査では、人員削減の理由として挙がったのは「経済状況」が43%、「組織再編」が31%で、この二つだけで7割を超えています。純粋にAIを理由とするものは、実のところ、それほど大きくはなかったのです。"AIで減らした"と語られた解雇の少なからぬ部分は、AIがなくても、どのみち起きていたのかもしれません。
だとすれば、「AIブーメラン」という言葉は、少し出来すぎた物語なのだと思います。AIが人を奪い、そして人が戻ってくる——たしかに劇的で、見出しにしやすい。けれど現実は、もっと地味です。過大な期待のもとで急ぎすぎた削減があり、その揺り戻しがあった。 AIは、その物語の主役というより、むしろ都合のよい説明役として使われた面がある。私には、そう見えます。
ただ——ここで話を終えてしまうと、今度は逆の早合点に落ちてしまいます。「なんだ、結局ぜんぶ経営都合の話で、AIは関係なかったのか」と。そうではありません。フォードがベテランを呼び戻したのは、紛れもなく、AIには埋められない何かがそこにあったからです。その"何か"を、次に見ておきたいと思います。
消えたのは、仕事ではなく「見立て」だった
フォードが呼び戻したベテランたちは、いったい何を持っていたのでしょうか。
それは、マニュアルには書かれていない種類の知識でした。どういう音がしたら、この部品は後で問題を起こすか。どんな微妙な傷なら、見逃してよくて、どんな傷なら見逃してはいけないか。図面の数値には現れない、けれど不良品を未然に防ぐ、経験のなかで培われた勘どころ。こうした知識は、言葉にしにくく、データにしづらい。だからこそ、AIには最初から学びようがなかったのです。
ここに、最初の誤りがありました。「この検査は、AIで置き換えられる」と判断したとき、その仕事は、明文化できる手順の集まりだと見なされていました。けれど実際には、その仕事の芯には、明文化できない判断が埋め込まれていた。つまり、置き換えられると見立てた瞬間に、その仕事が本当は何でできているかを、すでに読み違えていたのです。消えたのは、仕事そのものではありません。誤っていたのは——最初から間違っていたのは——その仕事に対する「見立て」のほうでした。
IBMの6%も、同じ構造で読めます。人事の問い合わせの94%は、たしかに手順に落とせる仕事でした。けれど残りの6%には、規則の条文には還元できない、人としての判断が必要だった。この6%を「あとで自動化できる端数」と見るか、「組織がもっとも人を必要とする核」と見るか。IBMは後者を選び、だからこそ、その担い手を育てるために新卒採用を増やしました。同じ6%が、見立て方ひとつで、切り捨ての対象にも、投資の対象にもなる。
こう考えていくと、今回の「雇い戻し」という現象は、AIの能力の限界を示す話ではないことが見えてきます。むしろそれは、私たちが仕事というものを、どれだけ雑に見立てていたかを映し出す鏡でした。AIは、その雑な見立てを、正直に暴いてみせただけなのかもしれません。AIを導入して初めて、「ああ、この仕事にはこんな判断が埋まっていたのか」と、私たちは事後的に気づかされている。皮肉なことに、AIは、人間の仕事の価値を、いちど失ってみせることで教えているとも言えます。
だとすれば、問われるべきものは、はっきりしてきます。AIの性能ではありません。私たちの、仕事を見立てる力のほうです。
では、何をもって「成功」と呼ぶのか
ここまで来て、私たちは最初の場所へ戻ってきます。
「AIで人を減らせば、利益が上がる」。この見立ては、なぜ多くの企業でつまずいたのか。それは、AIの性能が足りなかったからではありませんでした。仕事の中身を読み違えたまま、減らせた人数という、いちばん数えやすいものを、成功の物差しにしてしまったからです。何人分の仕事をAIが引き受けたか。人件費をいくら削れたか。それらは、たしかに測りやすい。決算の場でも説明しやすい。けれど、その測りやすさこそが、見立てを誤らせた罠でした。
フォードが失いかけたのは、削減額の裏側にあった品質でした。IBMが守ろうとしたのは、6%という端数の奥にある、判断の担い手でした。どちらも、「減らした人数」という物差しの上には、決して現れてこない価値です。測りやすいものだけを見ていると、測りにくいけれど本当に大切なものが、視界から抜け落ちてしまう。今回の雇い戻しは、その抜け落ちが、あとから請求書となって返ってきた出来事だったのだと思います。
生成AIへの投資が、これから本当に問うてくるのは、ここです。私たちは、何をもって「うまくいった」と判断するのか。効率や削減という、短くて分かりやすい言葉の外側にある価値を、どうやって経営の言葉に翻訳するのか。測りにくいものを、測ることから逃げないこと。 それが、AIとともに働く時代の、経営の新しい仕事になっていくのだと、私は考えています。
では、その「測りにくい価値」を、私たちはどう測ればいいのか。時短でも、削減人数でもない物差しは、どこにあるのか。それを次回、じっくり考えてみたいと思います。