総論
察してもらう時代の終わり
暗黙知の国は、AIとどう向き合うか
生成AIを試した日本人は四人に一人。なのに毎日使う人は二十五人に一人。準備万端の国が、なぜ根づかせられないのか——「察し合う文化」と「恥の文化」を手がかりに、日本人とAIの噛み合わなさの正体と、その先にある沃野を考えます。
池田 武弘|
その嘘は、誰の嘘になったのか
「ショウ君が間違えた」——AIに名前をつけると、仕事はしやすくなる。だが同じ名前が、いざ間違えたとき、本来問われるべき人間の責任を、そっと視界から消してしまう。名前を呼びながら、その向こう側の自分を見つめ続けられるか。
池田 武弘|
察してくれない相手を、なぜ責めるのか
人間の嘘は許せるのに、AIの嘘は許せない。この落差はどこから来るのか。AIの嘘の多くは、実はこちらの「託し方」の不足が呼び込んでいる。責める指を鏡に向けたとき、そこに映るのは、語りそこねた自分自身だ。
池田 武弘|
渡したあとに、始まること
知恵を言葉にして、次の人へ渡す。渡し終えれば、継承は完了する——そう思っていました。けれど実際には、渡した知恵は相手の手のなかで育ち、思いがけない姿になって返ってきた。渡す側と受け取る側が、くるくると入れ替わる。知恵が人と人のあいだをめぐり、生き続けていく景色を見つめます。
池田 武弘|
「あの人に聞けばわかる」会社の危うさ
どんな組織にもいる「あの人に聞けばわかる」という人。その安心は、その人がずっとそこにいてくれる前提の上に、そっと成り立ってはいないだろうか。属人化した知恵を、敬意とともに組織へ手渡す道を考える。
池田 武弘|
語るうちに、見えてくる
「語る番です」と書いた自分自身が、いざ語ろうとして詰まった。自分のなかの言葉にならないものを、どう言葉にしていくのか。AIに語りかけるうちに像を結ぶのは、ほかでもない自分自身の姿だった。
池田 武弘|