ヘルスケア × 生成AI

眠りは、設計できる

疲れの正体は見えた。では、どう回復するのか

池田 武弘(closip)|

疲れの正体を知ることと、そこから回復することは別の話だ。休息が向こうから訪れる時代を離れつつある私たちに必要なのは、回復を「設計する」という構えの切り替え。眠りという最も基本的な営みから、それを考える。

前の二篇で、私はAIと働く脳に起きていることを見つめてきました。任せきれば鈍り、引き受ければ酷使される。そのあいだで揺れる疲れには、これまでの疲れとは違う手触りがある——そうしたことを、確かめてきたつもりです。

けれど、疲れの正体を知ることと、そこから回復することは、別の話です。名前をつけただけでは、脳は休まりません。

そして、ここに一つ、やっかいな事実があります。私たちはもう、「放っておけば自然に休まる」という時代を、少しずつ離れつつあるのです。

かつて、疲れれば眠くなり、眠れば回復する、というのは、ほとんど意識するまでもない当たり前でした。ところが、AIという強力なパートナーを得て、仕事にも日常にもこれまでとまったく異なるスタイルで向き合うようになってから、その当たり前が、静かに崩れ始めています。夜になっても頭のどこかが動き続け、休息が向こうから訪れてくれるのを、ただ待っていても訪れない。そんな感覚を持つ人は、少なくないはずです。

だとすれば、私たちは考え方を切り替える必要があります。回復とは、疲れたあとに向こうからやってくるものではなく、こちらから条件を整えて呼び込むもの——つまり、設計するものなのだ、と。

この稿では、その「回復の設計」を、眠りという最も基本的な営みから考えてみたいと思います。

眠りは、待つものではなく、条件を整えるもの

眠りというと、多くの人は「自然にやってくるもの」だと感じています。私も長らく、そう思っていました。けれど、眠りの中で脳が何をしているのかを知ると、その受け身の構えは、少し変わってきます。

深い眠りのあいだ、脳は日中に溜まったアミロイドβという老廃物を洗い流している——近年の研究は、そうした仕組みの存在を明らかにしてきました。脳のすきまを流れる脳脊髄液が、覚醒しているあいだには狭められ、深い眠りに入ると通り道を広げて、老廃物などを押し流していく。この排出機構は「グリンパティックシステム」と呼ばれ、とりわけ最も深い眠りの局面で活発になるとされています。眠りとは、ただ休むだけの時間ではなく、脳が自らを手入れする、能動的な営みでもあるのです。

もっとも、この分野の科学は、まだ発展の途上にあります。グリンパティックシステムの多くは動物実験で確かめられたもので、それがそのまま人間に当てはまるのか、老廃物が流れる主な仕組みは何なのか——専門家のあいだでも、なお議論が続いています。ですから私は、この話を「確定した真実」としてではなく、「有力だが、まだ更新されうる知見」として受け取るようにしています。それでも、深い眠りが脳の手入れに関わっているという方向性は、多くの研究が支持するところです。

ここで大切なのは、その「グリンパティックシステム」が動作する条件である深い眠りが、ただ眠るだけでは、最適に訪れてくれるとは限らない、という点です。睡眠トラッカーを装着したことがある方ならお分かりかと思いますが、睡眠は、「寝る」と「起きる」の2値の単純なものではなく、睡眠の深度や睡眠中の脳の活動状況に応じて、いくつかのステージに分類されています。つまり、「グリンパティックシステム」を適切に動作させるためには、この睡眠ステージのコントロールが必要になります。言い換えると、眠りを「受け入れる」のではなく、眠りは訪れるものではなく、整えるものだという発想が必要となります。

たとえば、体温です。私たちの体は、眠りに向かうとき、体の内部の温度をゆるやかに下げていきます。この下降が、入眠の合図になる。ならば、その下降を後押しすればいい。就寝の1〜2時間ほど前に、40度から42度ほどのお湯に浸かって体を一度温めておくと、そのあと体温が下がる流れが強まり、寝つきが助けられることが、複数の研究をまとめた分析で示されています。私自身、寝る前の入浴は、一日のなかで最も大切にしている時間のひとつです。体を温めるためというより、体温が下りていく流れに乗るための、いわば助走として。

運動も、深い眠りの味方になります。日中に体を動かすと、その晩の深い眠りが増えることが知られています。私は運動を習慣にしていますが、これは体をつくるためであると同時に、夜の眠りの質を整えるための投資でもある、と考えるようになりました。ただし、就寝の直前に激しく追い込むと、かえって神経が高ぶって寝つきを妨げます。強度の高い運動は、就寝のずっと手前で終えておく。眠りを整えるとは、鍛える時間と、鎮める時間を、意図して分けることでもあります。

お酒についても、一言だけ。私はアルコールを口にしません。寝酒は寝つきをよくすると言われますし、実際、夜の前半にはむしろ深い眠りが増えるという報告もあります。しかし、夜の後半の眠りを浅く途切れがちにし、朝の回復感を損なうことがわかっています。(厳密には、飲酒が主に乱すのは深い眠りそのものよりも、レム睡眠や睡眠後半の安定性のほうで、ここで述べてきた深い眠りの増減に直接効くわけではありません。それでも、眠り全体の質という観点からは看過できない要素です。)眠りを設計するという観点からは、手放したほうがいいものの一つだと、私は考えています。

こうして並べてみると、眠りとは、夜になって受け取るものというより、日中からの積み重ねで用意しておくものだ、とわかります。体温、運動、そしてお酒との距離。どれも特別な道具は要りません。要るのは、「眠りは訪れるものではなく、整えるもの」だという、構えの切り替えだけです。

科学を、自分の身体で確かめてみる

私は身体に良いとされる取り組みやパフォーマンス向上につながるとされるアイデアは、その理論を正しく理解するとともに、自分の身体でも積極的に試すようにしています。 本コラムで取り上げている睡眠に関して最近試したのは、モンモランシー種という、酸味の強いさくらんぼの濃縮液でした。これに睡眠を助ける働きがあるかもしれない、という研究があると知り、試してみることにしたのです。

ここで、正直に書いておかなければなりません。この分野のエビデンスは、けっして盤石ではありません。複数の研究をまとめた分析によれば、活動量計などで測った客観的な指標では、総睡眠時間や睡眠効率がいくらか改善したと報告されています。ところが、本人が「よく眠れた」と感じたかどうかという主観的な評価では、はっきりした差は出ていません。しかも、なぜ効くのかという仕組みもまだ十分には解明されておらず、調べられているのは短期間の効果ばかりです。要するに、「一部の人には、いくらか助けになるかもしれない。ただし過度な期待は禁物」という程度の、慎ましい知見なのです。

ですから私は、これを「よく眠れる魔法の一杯」として飲んだわけではありません。科学がどこまで言えて、どこから先はまだわからないのか——その境界を見極めながら、自分の身体で確かめてみたかった。ただ、それだけでした。

やり方は単純です。就寝前に30ミリリットルほどを口にする。それを2週間、続けてみました。

結果は、私にとって示唆に富むものでした。まず、主観的には、何も変わりませんでした。特別によく眠れたという実感はまるでなく、「これは効いていないな」というのが正直な感想だったのです。ところが、睡眠を計測しているトラッカーの記録を見て、少し驚きました。最も深い眠りの時間が、この期間を通して、安定的に一割ほど増えていたのです。

もちろん、これは私一人の、2週間だけの記録にすぎません。厳密な実験ではありませんし、たまたまかもしれない。ですから「効く」と断言するつもりは、まったくありません。けれど、この経験は、私に一つの大切なことを突きつけました。自分の感覚では「何も変わっていない」と感じていたのに、客観的な数字は、静かに変化を捉えていた——この食い違いです。

思えば、これは眠りの科学そのものが抱えている難しさとも、どこかで通じています。先ほど、脳の老廃物を洗い流す仕組みが、人間ではまだ直接には確かめきれていない、と書きました。私たちの身体の内側で起きていることの多くは、当人の意識には、そのまま映ってはくれないのです。深い眠りが足りているかどうかも、脳が十分に手入れされているかどうかも、自分の感覚だけを頼りにしていては、案外わからない。

だからこそ、と私は思うのです。回復を設計しようとするなら、自分の主観だけを信じるのではなく、外側から自分を測る目を、どこかに持っておいたほうがいい。体温を意識し、運動を記録し、眠りを可視化する。そうした「自分を観察する仕組み」を持つことが、疲れにも回復にも鈍感になりがちな私たちにとって、意外に大切な支えになるのだと思います。

「整った状態」が、成果を決める

さて、ここまで眠りの話をしてきましたが、私がこれを健康法として語っているのではない、ということは、書いておきたいと思います。回復の設計は、仕事の質そのものに、直接つながっているからです。

前の二篇で見てきたように、AIと働くとき、私たちの脳は、任せきれば鈍り、引き受ければ酷使されます。そして最後に、AIの出した答えを吟味し、判断を下し、責任を引き受けるのは、私たち人間です。どれほど賢いAIを手にしても、その性能を最終的に引き出せるかどうかは、それを使う人間の頭が、どれだけ整っているかにかかっている。道具が優秀であるほど、それを扱う側のコンディションが、成果を分ける最後の変数になるのです。

深く眠れた翌朝と、そうでない朝とで、同じ問いに向き合っても、見えてくるものの解像度は変わります。込み入った議論の筋道を追う力、複数の選択肢を天秤にかける力、違和感に気づく力——こうした、AIには最終的には委ねきれない判断の質は、脳のコンディションに、静かに、しかし確実に左右されています。整った脳は、それだけで、一つの競争力なのです。

だからこそ、いま「睡眠を最適化しよう(sleepmaxxing)」という機運が高まっているのは、自然な流れだとも言えます。睡眠を計測し、数値を追いかけ、少しでも改善しようとする——そうした関心が、経営層のあいだにも広がっています。

ただ、ここで一つ、立ち止まっておきたいことがあります。設計するということは、数字に追い立てられることとは、違うはずだ、という点です。

睡眠のスコアに一喜一憂し、少しでも数値が悪ければ焦り、最適化そのものが新たなストレスになる——そうなってしまっては、本末転倒です。回復を設計するとは、データに支配されることではありません。自分の状態を知るための手がかりとして数字を使いながら、最後は、静かに条件を整え、整った状態を保つこと。あくまで主導権は、こちらの側にあります。

日本の睡眠に関する指針も、近年は、眠っている時間の長さだけでなく、「休めた」という感覚——睡眠休養感を大切にすることを説くようになりました。何時間眠ったかという数字の向こうにある、朝の頭の軽さ。それこそが、設計が目指す先だと、私は思います。

整った状態をつくること。それは、AIと最も深く協働する人にとって、贅沢でも余技でもなく、仕事の一部なのだと思うのです。

眠りを、設計するということ

「疲れたら休む」。長いあいだ、私たちはそれを、疑う余地のない自然の摂理として受け入れてきました。けれど、AIとともに働く日々のなかで、私はその摂理が、少しずつ揺らいでいくのを感じています。休息は、待っていても、以前のようには訪れてくれない。だとすれば、こちらから迎えにいくほかありません。

眠りを設計するとは、大げさな話ではありません。就寝の前に体を温めておく。日中に体を動かす。夜の脳を、意図して鎮める。そして、自分の状態を、主観だけでなく外側からも眺めてみる。ひとつひとつは、ささやかな心がけです。けれど、それらを「たまたま眠れた」に委ねず、意志をもって組み上げていくとき、回復は、運任せの現象から、設計できる営みへと変わります。

思えば、これはAIとの向き合い方とも、どこか似ています。優れた道具を手にしても、それを受け身で使っているかぎり、私たちはその力を十分には引き出せません。任せきりにするのでも、振り回されるのでもなく、こちらが主導権を握って、条件を整えていく。眠りも、AIも、そして自分の脳そのものも——受け身でいることをやめ、設計の対象として引き受けたとき、はじめて味方になってくれるのだと思います。

明日の自分の頭を、今日のうちに用意しておく。その静かな能動が、AIと最も深く働く人を、最後に支えるのだと、私は考えています。