渡したあとに、始まること
── 知恵は、めぐって、生き続ける
知恵を言葉にして、次の人へ渡す。渡し終えれば、継承は完了する——そう思っていました。けれど実際には、渡した知恵は相手の手のなかで育ち、思いがけない姿になって返ってきた。渡す側と受け取る側が、くるくると入れ替わる。知恵が人と人のあいだをめぐり、生き続けていく景色を見つめます。
前回まで、私は「知恵を言葉にして、次の人へ手渡す」という話をしてきました。一人の頭のなかに眠っている判断の基準や段取りを、面倒がらずに言葉にして、組織のなかで使える形にしていく。そういう話です。
こう書くと、道筋は、いたってまっすぐに見えます。ベテランの知恵を言葉にする。それを若手に渡す。渡し終えれば、継承は完了する。——多くの方が、そんなふうに受け取られたのではないかと思います。私自身、最初はそう考えていました。言葉にして、渡す。そこがゴールなのだ、と。
ところが、実際にやってみると、話はそこで終わりませんでした。
正確に言えば、終わらなかったどころか、渡したところから、思いがけないことが始まったのです。言葉にして手渡した知恵は、渡した相手の手のなかで、私の想像しなかった動き方をしはじめました。そして巡り巡って、渡したはずの私自身のところへ、別の形になって返ってきた。
「渡せば、完了」ではなかったのです。むしろ、渡したその瞬間が、何かの始まりでした。
今回は、その「渡したあとに始まったこと」の話をしたいと思います。私が実際に、社内である一人に知恵を手渡し、そこから何が起きたのか。順を追って、お話ししていきます。
その相手のことを、少しだけ紹介させてください。名前は伏せますが、社内にいる一人の社員です。
彼女は、もともと技術者ではありません。経営を学んできたわけでもない。まったく畑違いの世界から、縁あって私たちのところへ来た人です。生成AIという言葉を初めて聞いたとき、彼女の反応は、正直なものでした。「プロンプト? 呪文か何かですか」。そして、こうも言いました。「私には、一生関係のない世界だと思っていました」と。AIに使われてしまうのではないか、という漠然とした怖さも、抱えていたようです。
いまの生成AIをめぐる風景のなかで、彼女のような立ち位置の人は、決して少数派ではないと思います。むしろ、現場の多くはそちら側にいる。だからこそ私は、彼女がどうAIと向き合っていくのかに、静かに関心を持っていました。
あるとき、私は彼女に、自分の判断の型のようなものを渡してみました。前回まででお話しした、あの営みです。私が何を大切にし、何を見て、どういう順で考えるのか——長らく自分の頭のなかだけにあったものを、AIとの対話を通して言葉にし、彼女が必要なときに呼び出せる形にして、手渡した。いわば、私の考え方の「型紙」のようなものです。
正直に言えば、このとき私が思い描いていたのは、ごく素直な図でした。私の型紙を、彼女が受け取る。受け取って、私の考え方をなぞれるようになる。それで、私の判断の一部が、彼女にも移る。——渡す側から受け取る側へ、知恵が一方向に流れていく。そういう、まっすぐな絵です。
ところが、そのまっすぐな絵は、いい意味で、すぐに裏切られることになりました。
型紙を渡された彼女は、それを使いはじめました。
はじめのうちは、たどたどしいものでした。私の考え方をなぞろうとして、うまくなぞりきれない。当然です。型紙はあくまで型紙で、そこには私の判断の輪郭は写せても、長年の経験のなかで培った肌理の細かなところまでは、写しきれません。彼女は、その隙間を、自分なりに埋めながら使うほかありませんでした。
ところが——その「自分なりに埋める」ところで、面白いことが起きたのです。
彼女は、私の型紙を、私が思ってもみなかった場所で使いはじめました。私が「こういう判断のときに使うもの」として渡した型紙を、彼女は、まったく別の場面に持ち込んだ。しかも、現場の細かな事情——私がふだん見ていない、彼女だからこそ見えている景色——に合わせて、少しずつ形を変えながら使っていた。私の型紙は、彼女の手のなかで、私の知らないものに育ちはじめていたのです。
最初、それを見たとき、私は少し戸惑いました。「それは、私が想定した使い方とは違う」と。けれど、その使い方の結果を見て、私は考えを改めることになります。彼女の応用は、私のもとの型紙よりも、その現場においては、明らかにうまく機能していたからです。
ここで、私のなかで、何かがくるりと反転しました。
私は、彼女に教えたつもりでいました。渡す側で、受け取る側は彼女なのだ、と。ところが、いま起きているのは、その逆です。彼女の使い方を見て、私のほうが学んでいる。「ああ、この型紙は、そういうふうにも使えたのか」「自分では気づかなかったが、こういう場面にも応用が効くのか」。私が渡した知恵は、彼女という別の人間の手を通ることで、私一人では決してたどり着けなかった形にまで、広がっていました。
渡した知恵が、渡した相手のなかで育って、育った姿になって、私のところへ返ってくる。
これは、私にとって、静かな驚きでした。知恵を手渡すというのは、こちらの持っているものを相手に移し替えて、それで終わり——そういう一方通行の営みだと、どこかで思い込んでいた。けれど実際には、渡した先で知恵は勝手に育ち、その育ったものが、渡した本人をも育て返す。受け取ったはずの彼女が、いつのまにか、私に手渡す側に回っていたのです。
話は、ここで終わりません。
彼女の使い方から私が学んだこと——それは、私のなかにしまわれて消えていくものではありませんでした。私はそれを、また言葉にしました。「この型紙は、こういう場面にも効く」「こういう現場では、この部分をこう変えたほうがいい」。彼女が育ててくれた気づきを、私はもう一度、型紙のなかに書き加えていったのです。
そうして更新された型紙は、以前よりも、少しだけ豊かになっています。私一人の経験だけでできていた型紙に、彼女の現場感が編み込まれた。そして、その新しい型紙は、また次の誰かへ渡されていく。渡された誰かは、きっとまた、私たちの思ってもみない使い方をするでしょう。そこから、私たちがまた学ぶ。——こうして、知恵は、ぐるぐると回りはじめました。
一度この回り方に気づくと、最初に思い描いていた「まっすぐな絵」が、いかに窮屈だったかがわかります。
渡す側と、受け取る側。教える人と、教わる人。私は無意識に、そういう上下の関係で、知恵の受け渡しを捉えていました。けれど、実際に起きていたのは、そんな固定された関係ではありませんでした。私が渡し、彼女が育て、彼女から私が受け取り、また私が渡す。役割は、そのつどくるくると入れ替わる。誰かが一方的に「与える人」で、誰かがずっと「もらう人」なのではない。全員が、知恵を回す輪のなかに、対等に立っている。
畑違いの世界から来て、AIを「呪文」と呼んでいた彼女は、いつのまにか、この輪を一緒に回す一人になっていました。教わる人ではなく、回す人に。私は、彼女に何かを授けたというより、彼女と一緒に、知恵が回る仕組みそのものを、はじめて動かしていたのだと思います。
知恵は、一人の頭のなかにあるかぎり、いつか、その人とともに消えていきます。けれど、こうして人から人へ回りはじめたとき、知恵は、誰か一人のものであることをやめて、その輪に関わる全員のあいだで、生き続けるものになる。——私が、渡したあとに見たのは、そういう景色でした。
さて、ここまで、私が現場で見た景色を、私の言葉で書いてきました。知恵を渡し、渡した先で育ち、育ったものが返ってきて、また回りはじめる。理屈で組み立てたというより、実際に起きたことを、起きた順にたどってきただけです。
ところが、この原稿を書きながら、私は、あることを思い出していました。
以前どこかで、これとよく似た図を見たことがある——そんな既視感が、ずっと拭えなかったのです。調べてみて、腑に落ちました。私が現場で手探りにたどり着いたこの循環には、すでに、名前がついていたのです。
野中郁次郎さんという経営学者が、いまから三十年以上も前に示した考え方があります。組織のなかで知識がどう生まれ、どう受け継がれていくかを、一つの循環として描いたものです。少し噛みくだいて言えば、こういうことです。まず、言葉にならない知恵が、人から人へ、背中を見るようにして伝わる。次に、その知恵が、誰かの手で言葉になる。言葉になった知恵は、他の知恵と組み合わさって、新しい形になる。そして、その新しい知恵が、また一人ひとりの身体に染み込んで、次の「言葉にならない知恵」になる。——この四つの局面が、ぐるぐると回り続けることで、組織の知は豊かになっていく。そういう考え方です。四つの局面のそれぞれの頭文字をとって、SECIモデルと呼ばれています。もし関心を持たれた方がいれば、この名前で辿ってみてください。
読んで、私は、静かに驚きました。私が現場で見たものが、ほとんどそのまま、そこに描かれていたからです。
とりわけ、私の心に残ったのは、この循環の"ある継ぎ目"でした。言葉になった型紙が、彼女の身体に染み込んでいく。そして、その染み込んだものが、彼女の使う姿を通じて、今度は私に伝わってくる。ここでは、知恵は、いったん言葉になったあと、ふたたび言葉にならないものへと姿を変えて、人から人へ直に伝わっているのです。型紙という言葉を経由しながら、最後は、言葉にならないところで受け渡される。私が「彼女の使い方を見て学んだ」と書いた、あの瞬間の正体は、これだったのだと思います。
もちろん、私の見た景色が、この理論に一分の隙もなく重なるわけではありません。現場は、理論よりもいつも雑然としていますし、四つの局面が、きれいに順番どおり回るわけでもない。けれど、大筋のところで、私が手探りでたどり着いた感覚は、先人がとうに体系として描き出していたものと、確かに重なっていました。
この符合を知ったとき、私が覚えたのは、「なんだ、先に言われていたのか」という落胆ではありませんでした。むしろ逆で、静かな心強さでした。自分一人の現場の思いつきだと思っていたものが、時代も分野も越えて、同じ構造にたどり着いていた。だとすれば、私が見た景色は、私だけのまぐれではなく、どの組織にも起こりうる、普遍的な何かなのかもしれない。——そう思えたからです。
この「暗黙知×生成AI」のコラムを、私は、ひとつの問いから書きはじめました。
言葉にしない文化のなかで生きてきた私たち日本人は、AIとどう向き合えばいいのか。最初のコラムで、私はこう書きました。「察してもらう時代は終わりました。これからは、語る番です」と。私たちのなかに眠る、まだ言葉にならない知恵に向かって——そう、確かに書いたのです。
そこから、話は少しずつ、外へ外へと広がっていきました。
語りはじめてみると、最初に見えてきたのは、ほかでもない自分自身の姿でした。次に、その言葉にした知恵を、どうすれば一人の頭のなかから、組織の手へと渡せるのかを考えました。そして今回、渡した知恵が、渡した先で育ち、育ったものが返ってきて、また回りはじめる——知恵が、人と人のあいだをめぐって、生き続けていく景色を見ました。
一人の内側から始まった小さな営みが、気づけば、組織のなかをめぐる大きな循環にまでつながっていた。振り返ってみると、この道のりそのものが、ひとつの知恵が広がっていく順序を、そのままたどっていたようにも思えます。
はじめに、私はこう申し上げました。日本人とAIは、どうも相性が悪い、と。言葉にせず、察し合うことを尊んできた私たちの文化は、多くを語らなければ応えてくれないAIとは、確かに噛み合いにくい。その見立ては、いまも変えていません。
けれど、ここまで来て、私は思うのです。その「噛み合わなさ」こそが、入口だったのだ、と。言葉にするのが苦手だということは、まだ言葉にされていない知恵が、私たちのなかに豊かに眠っているということでした。そして、その眠った知恵を、一人また一人と、掘り起こし、渡し、めぐらせていく——AIは、その長い営みに、静かに付き添ってくれる相棒でした。察してはくれないけれど、こちらが語りさえすれば、どこまでも粘り強く付き合ってくれる。考えてみれば、これほど頼もしい相手も、そういないのかもしれません。
察してもらう時代は、終わりました。これからは、語る番です。そして、語りはじめた知恵は、私たちの手を離れて、人から人へ、めぐっていきます。
その循環の輪のなかに、あなたの現場の、まだ言葉にならない知恵も、きっと加わっていく。——私は、そう信じています。